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KININARU

毎日のきになることをかきとめます

なぜ学ぶより気になる,なぜ教える

数学 教育

学びたい,という欲求は非常に理解のしやすい誰もが経験する感情だろう.知らないこと,わからないことが身の回りに溢れているため,新しく知識や情報を得ることはとてもたのしい.学校というのはそのような自覚のある欲求を満たすことのできる場であり,同時に無自覚の学習意欲が目覚める場所である.我々は今興味のあるものが本当に興味のあるものだと勘違いすることが多く,とくに学生年代には多くその傾向が見られる.なぜそんなことしなければならないのか,という疑問は自然に考えることであるが,だからといって学問を放棄する理由にはならない.

 

一方で,その知識や情報を教授する立場の”教師”とはいったいどのような存在であり,なんのために教えるのだろうか.学ぶという行為が自然であるのと同時に,教える,という行為も自然なのだろうか.

歴史をみると,老子アルキメデスなど,著名で優れた師に生徒が集まって学んだ,ということであり,教えを請う人たちがいたから必然的に本人の学びを授けた,ということなのだろう.学びを授ける,という行為が教える,という動詞に対応するのであれば,教える側に学びがなければならず,それは経験と似て非なるものであると考える.

(次回のテーマは学びと経験の違いか.)

ネット上で多くの動画や様々なテーマに関して大学の講義が閲覧できる現代において,学校の,教師の果たす役割とは一体なんなのか,ということを考えていなければこれ以上に驚異の社会的な名誉や地位が下がっていくことだろう.

誰からも尊敬されない職業,それが夢を語るなんて空間を誰が望むだろうか.