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KININARU

毎日のきになることをかきとめます

どんぶり感情な日々

主題

感情の四元素である喜怒哀楽のうち,私が最も相容れないものは怒りである.一方頻繁に感じるのは諦めである.また,怒りと諦めは紙一重である.よって,四元素を喜諦哀楽へ変更を求む.

帰り道,道路に面した小さな田んぼにこんな看板が刺さっていました. 

「この田んぼに新聞を捨てるな!」

あ〜あ,これは持ち主は怒ってはるな,こんなことまでするぐらいだからけっこうな勢いで怒ってるわ.と.そのとき,はて,この怒りは誰に向けられたものなのだろう? どれぐらい本気で怒っている? と感じました.

メッセージは捨てた特定の人に向けているものの,看板自体はそれ以外の多数の人も目にします.正直,「この田んぼに新聞を捨てるそんな無礼者が近くにいるのか,しょっく」となりました.そもそもこの人本気で怒っているのか? 看板見て改心するとは思えんが? 一矢報いた,せいせいした,程度なのか? わからんんんん というのが始まりです.

第三者的に見て

「田んぼに新聞を捨てないでください」であれば,諭してるな,となり

「頼むから新聞を捨てないでください」であれば,懇願してる,優しい人だ,となる

「え? まだ捨てるの?」コミュニケーション図りにいってる! となるし

「」あきらめたか.あれだけやったのに,残念だ,と私は感じる.

 

喜びや哀しみ,楽しいという感情は毎日の日々の中でよく感じるが,怒りに関しては登場回数が少ない上,怒る,ということは多くは自分ではなく他の存在に向けられていることが多いと思います.みなさんは何かに怒っていますか?

自分に怒りを覚えます,という表現はあるものの,覚えるぐらいで暴力のステージまでいく人はいないだろう.カッとなって自分のふとももを刺しました,なんてニュースを見たことはありません.せいぜい物に当たって拳を怪我する程度のようです.そのため,ここでは他人への怒りについて考えます.また,似た言葉でより教育的な「叱る」という言葉がありますが,それは今回検討しません.あくまで怒りについて考えます.

まずは怒りという感情がどのようなものかを,過去を振り返りながら考えてみます.

怒りは瞬発的?持久的?

こらー! とか,ふざけんな!表でろ! といったシーンは実際目にしたことありませんけど,あるから描写されているのだと思って話をします.あのような状況,溜まりに溜まった怒りがコップのふちから表面張力を突破して溢れたから怒った,というよりも,コップが倒れて水がこぼれたかのように感情が発生しています.

一方で,さっきから聞いてたら好き勝手言いやがってこのやろう! みたいな時は「怒りのゲージ最大です!これ以上持ちません!決壊します!」というアナウンスが脳内でなり響き,よっしゃ,こいつに怒ろう,ということで啖呵を切るという印象を受けます.

怒る人とそうでない人

怒り,の前提は 自分のことは棚上げ だと思います.何故これができないのか! や,なぜこんなことをしてくれたんだ! などという怒りシーンを学校にいた頃は見ていました,要するに子供の頃はよく目にしていた,のですが,じゃああなたは? という返しは絶対にしてはいけないお約束だったように思う.

今はそんな話していない! とか言われてさらに怒りを買うことになると思うので,無駄だなと子供ながらに考えていたのかもしれない.
小学6年生,あのときのビンタは本当に痛かった.まあ,サッカーの監督が話そうとしてる時に布団の上でゴロゴロしてたらそら腹たちますよね..

 

怒りという感情は「嫌だったな,怖かったな」という負の記憶が色濃く入っているため,ネガティブな書き方になりがちですが,一概に悪だと思っているわけではありません.怒りがエネルギーとなり新たな活動への足がかりになったり,怒られた本人が変化する,ということも多くあるでしょう.自分自身他者に怒れない分嫉妬しているのかもしれません.

 

少々長くなりました.今回はこれぐらいにし,次回さらに深掘りしていこうと思います.

次回予告.

怒りという感情の根元には何があるのだろうか?

怒っている人は自分が怒っていると認識しているのだろうか?

怒っても仕方がないとき,人はどのような行動をとるか?

 

 

そして,怒りと諦めの境界はどこだ?