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KININARU

毎日のきになることをかきとめます

書くことによって得られるものはなにか

ものかき,と呼ばれる人たちはどのようなタイミングで筆を取るのだろうか,と考えることがある.ものかき,とまでは行かずとも,趣味としてブログや日記を書いている人も然りである.

先日,結城浩さんが

 と述べていた.

この引用RTで述べられていることは少し数学よりな頭の流れの可能性もあるため,ほとんどすべての人が,ということには当てはまらないと思うが,先頭に近いポジションにいる方がこういった使い方をしているというのは多くの人が参考にして良い事柄であると思う.

私自身は,これまで文章というものを創作することはすくなかった.数学の問題や解説を作る,この取り組み自体はものを書く,という部分に通じるが,その中身は大きく脱線することのない,自分の書きたいこと,ではなく,求められているもの,を書いてきた.(LaTeXのコードは別であるが)

人に求められているものを書くことも重要だが,人に求められるものをかけるかどうかが大きな課題であると思う.その文章が読みたい,その文章がきになる,という対象になるのが良い,目標である.

そういった活動は一朝一夕にはできないし,すでに多くのひとが実践しており,改めていう必要もない,と思うかもしれない.しかし,この言語活動を自分自身で行う,という点が極めて重要なのであり,他者がやっている,行われ尽くした,というのはやらない理由とはなり得ない.(これは二重否定?)発声という形を除いたアウトプットの機会は,そう多くない.それが短文ではなく,かつ,日記でもない場合はさらに,である.

そういうことで,今回からどれぐらい続くかはわからないが,気を入れすぎず,本来好きな活動であろうため,すくなくともこれよりも洗練されていない文を書くことは今後ないと思われる.

日々10時までに家事を終わらせ,思考し,言語化し,人格の修練を行わん.

mac USキーボードの小さな悩みを一時的に解決? LateX ユーザーは是非お試しあれ.

USキーボードはかっこいい! そう思って僕はUS買いました.

何の問題もなく日々過ごしていましたが,一点だけ気がかりなことが...

それは,TeXを入力する際,べき乗をあらわす^ という演算子が打ちにくいこと!

これがとってもうちにくい.Shift + 6  て,,,

- や = は一発で打てるし,(この= 一発入力は本当に最高)+もまだ片手でどうにかなる.ただし,この^だけは両手がいる.片手だとしても遠い.

それぐらい,と思うかもしれませんが,やはり入力の多いキーは簡単に打ちたい.

そう思って調べて結果,ユーザー辞書にたどり着きました.日本語は多くの人が利用していると思いますが,英字の場合はなかなかうまくいかずに苦戦していました.

僕はTexpadというアプリを使っていますが,多くの人が使っているTeXShopでも以下の動作を確認しました.是非ご活用ください.

 

ver.  macOS Sierra

 

1.環境設定から「キーボード」:「ユーザー辞書」:「+」:「好きなコマンド」:「^」

僕は打ちやすい,かつ使わないスラッシュ/ を二つにしました. すなわちf:id:jimathan:20170225095334p:plain

こういう状況です.入力は少なくともふた文字は必要です.

 

2.使っているLaTeXのアプリを開く

任意の画面で// を入力する.すると,何も起きませんが,選択して右クリック(or 二本指タップ)で情報を見ようとすると

f:id:jimathan:20170225095608p:plain

と表示されます.

テキストを自動的に置き換える,を選択すると,そのファイルにおいてに//(space key) と入力すると勝手に^に変わります.yeeeeeeeahhhh! 

ただし,そのファイルのみでの変更のようで,再度開くと仕様が戻っています.on, no..

長時間のTeX作業の際には是非ご活用ください.

 

また,恒常的にこのように^を簡単に打てる方法がありましたら是非教えていただきたいと思います.

なぜ学ぶより気になる,なぜ教える

学びたい,という欲求は非常に理解のしやすい誰もが経験する感情だろう.知らないこと,わからないことが身の回りに溢れているため,新しく知識や情報を得ることはとてもたのしい.学校というのはそのような自覚のある欲求を満たすことのできる場であり,同時に無自覚の学習意欲が目覚める場所である.我々は今興味のあるものが本当に興味のあるものだと勘違いすることが多く,とくに学生年代には多くその傾向が見られる.なぜそんなことしなければならないのか,という疑問は自然に考えることであるが,だからといって学問を放棄する理由にはならない.

 

一方で,その知識や情報を教授する立場の”教師”とはいったいどのような存在であり,なんのために教えるのだろうか.学ぶという行為が自然であるのと同時に,教える,という行為も自然なのだろうか.

歴史をみると,老子アルキメデスなど,著名で優れた師に生徒が集まって学んだ,ということであり,教えを請う人たちがいたから必然的に本人の学びを授けた,ということなのだろう.学びを授ける,という行為が教える,という動詞に対応するのであれば,教える側に学びがなければならず,それは経験と似て非なるものであると考える.

(次回のテーマは学びと経験の違いか.)

ネット上で多くの動画や様々なテーマに関して大学の講義が閲覧できる現代において,学校の,教師の果たす役割とは一体なんなのか,ということを考えていなければこれ以上に驚異の社会的な名誉や地位が下がっていくことだろう.

誰からも尊敬されない職業,それが夢を語るなんて空間を誰が望むだろうか.

また怒っているんですか

怒るのは構わないが,それを口として周囲に漏らすのは如何なものか.私は怒っています,という表れなのだろうが,それは勝手にやってくれないか,と思う.仲の良い人や家族であれば相談にのるのは当然だが,職場において怒りを周囲に漏らすのは効果がないように思えてならない.それならばいっそ本人に言ってくれませんか,となる.

ストレスを発散している気かもしれないが,ストレッサーを対処しないとどうにもならない.もちろん,諦めて違う場に身を移すという選択は有益と思うが,ただただ怒って我慢して,というのではなおさら怒りが増すのではないか.

愚痴というのはこぼす方は気楽と思うが,聞いている方は気分が悪い.特に人の悪口だけは聞いていられない.その人はどこかでまた人の悪口を言っているのだろうと想像できるため,信頼に欠ける.

怒りが湧いてきた時にはその感情と正面から向き合ってみると自分の考えていることや嫌なことがよくわかる.ああ,こういうことは嫌いだったのだ,苦手だったのだ,と気づきをが得られる.そのうち,怒りは忘れてしまう.こうやって怒りをみつめていれば,次第に怒りの原因に対応できるようになると思う.

よく相手を観,言わんとすることを理解しようと試みれば,”大人”が怒っている理由や怒りたくなっている様がよくわかる.

冷静に,互いの主張を見つめる時間を確保できないのが,大きな原因かもしれません.

どんぶり感情な日々

主題

感情の四元素である喜怒哀楽のうち,私が最も相容れないものは怒りである.一方頻繁に感じるのは諦めである.また,怒りと諦めは紙一重である.よって,四元素を喜諦哀楽へ変更を求む.

帰り道,道路に面した小さな田んぼにこんな看板が刺さっていました. 

「この田んぼに新聞を捨てるな!」

あ〜あ,これは持ち主は怒ってはるな,こんなことまでするぐらいだからけっこうな勢いで怒ってるわ.と.そのとき,はて,この怒りは誰に向けられたものなのだろう? どれぐらい本気で怒っている? と感じました.

メッセージは捨てた特定の人に向けているものの,看板自体はそれ以外の多数の人も目にします.正直,「この田んぼに新聞を捨てるそんな無礼者が近くにいるのか,しょっく」となりました.そもそもこの人本気で怒っているのか? 看板見て改心するとは思えんが? 一矢報いた,せいせいした,程度なのか? わからんんんん というのが始まりです.

第三者的に見て

「田んぼに新聞を捨てないでください」であれば,諭してるな,となり

「頼むから新聞を捨てないでください」であれば,懇願してる,優しい人だ,となる

「え? まだ捨てるの?」コミュニケーション図りにいってる! となるし

「」あきらめたか.あれだけやったのに,残念だ,と私は感じる.

 

喜びや哀しみ,楽しいという感情は毎日の日々の中でよく感じるが,怒りに関しては登場回数が少ない上,怒る,ということは多くは自分ではなく他の存在に向けられていることが多いと思います.みなさんは何かに怒っていますか?

自分に怒りを覚えます,という表現はあるものの,覚えるぐらいで暴力のステージまでいく人はいないだろう.カッとなって自分のふとももを刺しました,なんてニュースを見たことはありません.せいぜい物に当たって拳を怪我する程度のようです.そのため,ここでは他人への怒りについて考えます.また,似た言葉でより教育的な「叱る」という言葉がありますが,それは今回検討しません.あくまで怒りについて考えます.

まずは怒りという感情がどのようなものかを,過去を振り返りながら考えてみます.

怒りは瞬発的?持久的?

こらー! とか,ふざけんな!表でろ! といったシーンは実際目にしたことありませんけど,あるから描写されているのだと思って話をします.あのような状況,溜まりに溜まった怒りがコップのふちから表面張力を突破して溢れたから怒った,というよりも,コップが倒れて水がこぼれたかのように感情が発生しています.

一方で,さっきから聞いてたら好き勝手言いやがってこのやろう! みたいな時は「怒りのゲージ最大です!これ以上持ちません!決壊します!」というアナウンスが脳内でなり響き,よっしゃ,こいつに怒ろう,ということで啖呵を切るという印象を受けます.

怒る人とそうでない人

怒り,の前提は 自分のことは棚上げ だと思います.何故これができないのか! や,なぜこんなことをしてくれたんだ! などという怒りシーンを学校にいた頃は見ていました,要するに子供の頃はよく目にしていた,のですが,じゃああなたは? という返しは絶対にしてはいけないお約束だったように思う.

今はそんな話していない! とか言われてさらに怒りを買うことになると思うので,無駄だなと子供ながらに考えていたのかもしれない.
小学6年生,あのときのビンタは本当に痛かった.まあ,サッカーの監督が話そうとしてる時に布団の上でゴロゴロしてたらそら腹たちますよね..

 

怒りという感情は「嫌だったな,怖かったな」という負の記憶が色濃く入っているため,ネガティブな書き方になりがちですが,一概に悪だと思っているわけではありません.怒りがエネルギーとなり新たな活動への足がかりになったり,怒られた本人が変化する,ということも多くあるでしょう.自分自身他者に怒れない分嫉妬しているのかもしれません.

 

少々長くなりました.今回はこれぐらいにし,次回さらに深掘りしていこうと思います.

次回予告.

怒りという感情の根元には何があるのだろうか?

怒っている人は自分が怒っていると認識しているのだろうか?

怒っても仕方がないとき,人はどのような行動をとるか?

 

 

そして,怒りと諦めの境界はどこだ?

 

冷たい熱湯がぬるい

悩みがないという悩みがある は成り立たない.

私がいない世界を見たくとも,私がいない世界を私は感知できない.

人の気持ちを考えよ,というが,その人は私の気持ちを知らない.

吉田松陰の言葉を引用し,『夢なき者に計画なし...』とを我が物顔でいうあなたに問う.「あなたの夢は何か?」

知(智とは異なる)の光が弱い人は,暗い部屋で本を読む行為さながらそのままの状態でいれば間違いなく視力の低下を招く.

休むことができなければ働くことはできない.人は疲れるということをもっと思い出さねばならないのかもしれない.

 

 

 

いっせーのーでっ

いち!

といってこれまで幾つの勝利をおさめてきたことだろう.これはいわゆる「ゆびすま」と呼ばれる遊びであるが,地方によって様々なようだ.今回はその呼び名やルーツには関心を寄せない.勝負に勝つためにはどうすればいいだろうか,という戦略を考察する.強い数字はあるのか.弱い数字はあるのか.

問題を簡単にするため,状況を以下のように設定する.

  • 3人でたたかう.
  • 3人とものこり1ステップであがることができる.
  • 今は自分のターン

この状況で,自分が0から3の何を言えば一番上がりやすいかを考える.

3人をA,B,Cと区別する.指の上げ方は次の通り.

(A,B,C)=(0,0,0), (1,0,0), (0,1,0), (0,0,1), (1,1,0), (1,0,1), (0,1,1), (1,1,1)

の8通り.これはあきらかであるが,このゲームは和が重要である.すなわち,これらを足した結果がどうなるか考えると,

A+B+C = 0, 1, 1, 1, 2, 2, 2, 3 となる.このことから,まず「1」,「2」と言うことがどうやらコツのようだ.そうすればどちらも確率は3/8となる.
個人的な記憶では,「ゼロ!」であがる経験も多かった気がするが,心理的な面を除けば確率はとても低いのである.

 

ただし,高校で数学を学んだ人ならわかるように,高校数学ではすべての事象に対し,「同様に確からしい」という仮定がある.つまり,3人の指の上げ方はあげるもあげないも等しい確率 1/2,ということである.自分以外の2人には感知できないため,同様に確からしいと考えてもいい気がするが,自分の指の上げ方を自分の意志によらないというのはいささか気持ちが悪すぎる.無意識に指が上がるなんて状況で,悠長に遊んでいる場合ではない.

ということは,自分の指の上げ方はさておき,残り二人の指の上げ方を吟味すればいいのではなかろうか.

あらためて,(A, B)=(0,0)=0, (0,1)=1, (1,0)=1, (1,1)=2 である.このことから,どうやら1が強いことがわかる.ということは,じぶんは指を上げないと決め込んで,いっせーのーでっ「1」というのが最強だということだ!

もちろん無意識下において指をあげるか否かという選択を行えるのであれば話は別だが.

現実は,残りの2人もどの指をあげるか,という戦略性が絡むゲームであるので,そう単純ではないが,知っているのと知らないのとでは大きな差がありそうだ.

 

これらを正確に設定していけば,強い数,弱い数というものがきちんと定義できるのでは? うーん,きになる.